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管理人プロフィール

はじめまして!SAERIと申します。
本日はこのWebサイトにお越しくださり、ありがとうございます!

基本情報

名前:SAERI
年齢:30歳
出身地:東京都
学歴:専門中退、高卒
職業:フリーランス
趣味:グルメ・読書・映画鑑賞
好きな漫画:スラムダンク・宇宙兄弟

私は、人付き合いが苦手で豆腐メンタル、これまで生きがいもなく、お金のためだけに働いてきた、学歴もキャリアもスキルもないアラサー独身女子です。

コンプレックスだらけの私が気づけば30歳になってしまい、そんな自分の人生を本気で変えていこうと決意し、このブログを書くことにしました。

その経緯を、プロフィールと合わせてお伝えしていこうと思います。

幼少期~小学生時代

生後6ヶ月、突然いなくなった父親

私は少し変わった家庭に生まれました。

漫画家の父、心配性で愛情深い母、そして3つ離れた兄。

私にとって最初に訪れた苦悩。

それは生後6ヶ月のある日、一緒に暮らしていた父が突然家を出て行ってしまったことです。

父は漫画家として生計を立て、年収は2000万円を超えていたそうです。

小さい子供が2人。在宅で漫画を描いていた父にとって、きっととてもうるさくて、
仕事環境としては最悪だったと思います。

ある日、家とは別に物件を借りて、父はそこですべての生活をするようになり、家からいなくなりました。
そこからずっと、年に2、3回程度会うのみで一緒に過ごすことはありませんでした。

一緒にいられることは当たり前じゃないんだ。

そう気づきました。

まだ言葉も話せなかった私は、とてつもなく寂しく感じたのを今でも覚えています。

それでも、子どもながらに父の仕事をかっこよく思い、いつしか自分も漫画家になってみたいと思うようになりました。
また「自分でないとできない仕事」に憧れるようになりました。

人との比較、自己否定が芽生えた小学校時代

私は人見知りが激しく、いつも母の後ろに隠れているような子どもで、思っていることをなかなか言い出せず、口数も少ない方でした。

人が考えていることや気持ちが分かってしまい、時に苦しくなったこともあります。

嘘をついている大人もよく分かりました。

小学校に上がり、集団生活を送る頃には、その特性はますます強くなります。

考えていることや思いをうまく人に伝えられず、クラスメイトから仲間外れにされることもありました。

悔しくて悔しくて、『自分はどうして人と話すことすらまともにできないのだろう、周りのみんなは普通にできているのに。』この頃からだんだんと自己否定をするようになります。

そして、人との強い比較もこの時期から始まりました。

面白いことに、学校の同級生に『父が漫画家』という私と同じ立場の女の子Mちゃんがいました。

彼女のお父さんはめちゃくちゃ有名で、漫画好きな日本国民ならほぼ全員知っているレベルの有名人。

自分の父よりも漫画は売れてるし、家は豪邸で、周りからチヤホヤされ、いつも友達に囲まれている彼女を見て、

自分の家は普通のマンションだし、友達はいないし、、私はなんて劣っているのだろう。

自分がいかにダメであるか、あの人は優れているかを比較するようになりました。

小学4年生になると、昼休みの教室で一人、なんのために生きているのか、なぜ生まれたのかを考えるようになりました。

毎日毎日同じ繰り返しで、つまらない学校生活を送っていました。
無邪気に遊ぶという子ども時代がなかったように思います。

中学生時代

中1の夏、父が仕事を辞め収入ゼロに

中学生に上がり、相変わらず人見知りで友達があまりできませんでしたが、それなりになんとか過ごしていました。

1年生の夏、母から突然の知らせ。
「お父さん、漫画家を辞めるかもしれない」

その時私は、それが一体どういうことなのか、実感がありませんでした。

当時、出版社の倒産が続いていた時期でもあったため、その波に呑まれ、更には描きたいものが描けないジレンマと戦っていたようです。

父が漫画家を辞めた時、仕事のために借りていたアパートを解約し、安い一戸建てを購入して「一緒に住まいか?」と提案がありました。

しかし、今さら一緒に住もうだなんて都合が良すぎ!ありえない!!と思い、私が断ることを選択します。

その後、父は田舎の山奥に一人引っ越すことに。

今までの寂しい思いから、素直になれなかった自分がいたと、今では思います。

そこから収入がゼロの生活になりました。

父は山奥に行っても、何かしら仕事をしていたと思いますが、私たち家族に対する仕送りは1円もありませんでした。

環境的に繋がりが希薄ではあったものの、仕送りがないことに見放されたような感覚になり、心の距離もますます離れていきました。

 

お金がないと生きていけないことを知り、初めての絶望を味わう

当時の私は、収入がなくなったことに実感がありませんでした。
しかし、母がとても不安に襲われ悩んでいる顔を一瞬見たとき、今どういう状況なのか全てを理解しました。

このままでは生活ができないのだと、この日を境に不安と恐怖が大きくなります。

『父と一緒に住まないことを選択してしまった自分のせいかもしれない。』

働いてお金を稼いで母の力になりたいけど、今の自分では何もできない。

生きるということはお金がかかり、お金がなければ何もできずご飯も食べられない

そんな当たり前のことに、やっと気づきました。

将来はとにかくお金をたくさん稼いで生活を支えなければいけない。

会社員の収入では足りないから、将来は自分で何か起業して仕事をしよう。と心に決めました。

ところがまだ中学生。

何をしたらいいか分からず、先々の不安から、ストレスが溜まり、学校生活はどんどん憂鬱に。

母を心配させまいと学校には通っていたものの、朝を迎えることが嫌になりました。

毎朝「始まりは終わり」と、洗面台に映る自分の顔を見ては言い聞かせ、やり過ごす毎日。
授業内容についていけず、途中から勉強するのを放棄しました。

何もかもうまくいかない、何もかもつまらない。

光を失ったような、そんな日々でした。

高校生時代〜卒業後

念願のバイトでお金を得ることの楽しさを知る

もう人生どうでもいい。

そう思っていた私は当然、高校受験もどうでもよかったので家から一番近い地元の公立学校に進学することに。

中学時代はロックバンドの音楽に精神的にかなり救われていたので、高校に入ったら軽音楽部に入ってバンドを組んでみたい!という密かな夢を持っていました。

不安と緊張で迎えた初めての部会。

驚いたことに、周りの1年生はすでに仲良しメンバーでバンドを組んでいたようで、自分だけバンドを組めませんでした。

当時は、前略プロフィールという、今で言うSNSが流行っていて、そこの掲示板で入学前からみんな交流を図っていたようです。

人見知りも発動して、誰にも話しかけられず、部会の途中で逃げ出し、その日は泣きながら家に帰ったのを覚えています。笑

どうせ自分の望みや願いは叶わないんだ。

そんなふうに思うようになりました。

それからすぐに近所のファミレスでバイトをスタート。

初めてのお給料は8000円。

働いて得たお金を手にした時、とても嬉しくて感動しました。

学校の勉強よりも、お給料日が楽しみで毎日お金のことを考えるように。

3年間みっちり働きました。

お金を稼げることの喜びを知り、バイト代は一部を母に渡しつつ、欲しいものは全てバイト代で手に入れていました。

 

12年思い描いた夢が崩れ去り、何もかも空っぽに

中学時代と同じく、勉強はほとんどしていませんでした。

大学に行くつもりはなく、漫画家を目指して専門学校に行こうと考えていたからです。

相変わらず学校は好きではなかったので、必要最低限の単位と出席日数を取ったら、残りの授業はほとんど出ませんでした。

そうして無事、高校を卒業した私はイラストの専門学校に進むことになります。

お金はなかったけれど、祖父母が仕送りをしてくれていたおかげで生活ができ、学校にも行けることに。

入学後は、当然絵を描くことに関する授業と課題の山。

学校でも絵を描き、家では課題をこなし1日中描き続ける毎日・・・。

3ヶ月ほど経ったある日、私は超重大なことに気づいてしまいます。

私は、そもそも絵を描くことが好きではない、本当は苦痛で仕方がない。

ということに。

自分でも衝撃でした。気づきたくなかったとさえ思うほど。

周りと比べて信じられないほど下手っぴであったことも原因の1つとしてありますが、それ以上に自分が漫画家を志した原点に気づいてしまったのです。

遡ること小学校時代。

同級生Mちゃんの漫画家パパが、私の父を酷く馬鹿にし、見下していたことに腹が立っていた自分を思い出しました。

自分が漫画家として売れて、アイツより有名になって見返してやる!!という気持ちが原動力だったのです。

幼かった当時の自分が心からやりたくて始めたことではなく、嫉妬心や復讐心から夢を持ってしまったのです。

そんなことに10年以上気付けず、自分に偽りの夢をみさせていたことに愕然としました。

気づいてしまってからは学校に行くことができなくなり、母に事情を話し謝ったことを今でも覚えています。

ありがたいことに母は理解をしてくれて、学校を辞めることに。

小学生からの12年間、私は一体何をしてきたのだろう。と絶望しました。

虚無感と、無力感で押し潰されました。

夢や目標は、純粋に心から願っているものかどうかが大切

であることを12年間の体験から学びました。

18歳〜20代半ば

バイトをしながら物販ビジネスに挑戦

学校を辞めた後、とりあえずバイトをしてお金を稼ごうと思い、仕事を探しました。

高校時代から、ファッションに強い関心があったため、どうせバイトするなら、ファッション関係がいい!

そう思い、アパレルの中古ブランド買取のお店で働いてみることにしました。

今まで経験したことのない世界が新鮮で、緊張しながらも楽しみながら働いていました。

そしていつしか、自分も着るだけでなく、服作りをやってみたいと思うようになりチャレンジを決意します。

週5日バイトをしながら、時間を見つけて服飾専門学校のオープンカレッジに通いました。

私の母はもともとパタンナーをしていたので、小さい頃よく服を作ってくれました。

分からないところは母に聞いたりしながら、挑戦していましたが、細かい作業とセンスのなさで向いていないと判断し、きっぱり諦めてやめてしまいました。

あの時は、自分のブランドを作る!!!なんて意気込んでいましたが・・・笑

またダメだったかぁ。と、自分の才能のなさに嫌気がさしました。

他に何かできることはないだろうか?とインターネットを検索していた時、『物販ビジネス』というものに出会います。

今では、「メルカリ物販」や「副業で物販」など、わりと知られるようになりましたが、当時はそういったものがほとんどありませんでした。

バイトや会社員でなく、小学生の時に憧れた「自分でないとできない仕事」ができるのではないか。

普通では稼げない収入を得られる可能性があるのではないか?と思い、挑戦することにしました。

そこから5年かけて、バイマのバイヤーから始まり、せどり、中国輸入などのいくつかの物販にチャレンジすることになります。

最初はバイトをしながらバイヤーをやり、時には専業で朝から晩までリサーチや商品検品・発送業務など一人でこなしていました。

一日家から一歩も出ずに、パソコンと向き合い、時には中国から来る粗悪品と戦いながら、1日13時間以上、毎日毎日机に向かっていました。

数ヶ月経ったある日、やっとの思いで月利益30万円を超えました。

今まで稼いだことのない金額だったので、めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。

このまま売り上げを伸ばしていきたい・・・!そう思っていました。

鬱になり再び生きがいをなくす

その後も走り続けた私でしたが、突然、風船に針を刺したように何かが弾け、起き上がることができなくなりました。

中学生の時に感じた光を失った感覚、専門学校を辞めるときの虚無感が再びやってきたのです。

次第にパソコンが開けなくなり、仕事はおろか、電車に乗ることも、外に出ることさえも出来なくなってしまいました。

何の気力も起きず、何もできない、自分なんて誰の役にも立てていない、存在価値なんてない。

生きていても死んでも変わらないんじゃないか。

そんなふうに感じ、暗闇から全く抜け出せなくなっていました。

今思えば、鬱になっていたのだと思います。

その後、とある物販スクールに入っていた私は、スクールの先生に救われることになります。

無気力な私に気付きながらも、何も言わず「遊びに行こう!」と外に連れ出してくれました。

仕事の裏話や他愛もない話をしてくれて、美味しいご飯をご馳走してくれて、泣きべそをかいている私を横に、たくさんエネルギーを下さって応援してくれました。

それからだんだんと元気を取り戻していくことが出来ました。

人によって傷付くことがあるけれど、人によって救われることがあるんだ

そう感じました。

この出来事から、今の自分は何も価値がないと思っている人がいたとしても、あなたには生きているだけで価値がある。絶対に大丈夫!と背中を押してあげられるような存在になりたいと思うようになりました。

 

25歳~27

MLMに出会い、人生で大切なことを学ぶ

23歳になる少し前、ネットワークビジネスの話がやってきました。

その時の私は何の偏見もなかったため、こんな素晴らしい企業があるのか!と創業者の想いやビジョンを心から素晴らしいと思い関わることを決めました。

最初は愛用者としてただ製品を愛用していました。

が、次第に製品やビジネスプランだけでなく、この会社が実現したいと思っている価値観を、多くの人に届けられたらきっと喜んでくれる人もたくさん増えるに違いない、伝えていきたい!

そういう思いから、ビジネスをスタートさせました。

最初はどうやって声をかけたら良いかもわからず、人と会っても「思いを伝える」ことができず、ずっとモジモジしてしまい話せない日々が続いていました。

伝えたい思いはあるのにうまく言葉にできず、表現できない自分が心底嫌になりました。

その後、数少ない友だちに伝えていましたが、もともとコミュ障で話し下手な私はことごとく断られしまい、こんなにいいものなのに、、この価値観を共有したいのに、、と断られる度に、自分を否定されているような気持ちになりました。

豆腐だった私のメンタルは、もうだめだ。やっぱりできない。向いていない。

とまたすぐに諦め始めていました。笑

誰ふり構わず声をかけられるほどのメンタルは持ち合わせておらず、自分が大切と思う人にだけ伝えていたので、声をかけた人数としては10人程度とぶっちゃけとても少なかったと思います。

正直ビジネスとして成り立っているかというと、全く成り立っていませんでした。

当時は物販をやりながら、飲食店のバイトを掛け持ちしながら働きました。

収入面としては増えてはいませんでしたが、このMLMの活動を通して、私の人生は大きく変わりました。

コミュニケーション力、人としての在り方、自分や他人を信じること。

諦めず続けること、上手くなくても心からの思いを伝えることの大切さ。

人は誰しも人と繋がっているということ。

人生で大切なことを、ここでたくさん学びました。

成功するには、

エネルギーや行動力が高く、ハートが開いていて、在り方が魅力的かつ純粋で真っ直ぐ、厚みのある人間関係・信頼関係を築いている必要がある

と気づきました。

真反対の生き方をしてきた私は、0からではなくマイナスから積み上げていかなければならないと思い、自分の生き方を改めることにしました。

住む家も貯金もなくなり彷徨う

25歳の夏、実家を出て、当時の彼氏と同棲することになりました。

引越し直後は全てが新しく、慣れない環境ややらなければいけないことに戸惑いもありましたが、楽しさが勝っていました。

とはいえ、他人同士が一つ屋根の下。

パートナーとの様々な問題が発生し、問題解決に向けてその度に何度も話し合いをする時間が増えました。同棲あるあるですよね。

一緒に住み始めてから4ヶ月後、ついに耐えられなくなり、私は夜逃げを決行し別れる決意をします。笑

しかし実家は引越しと同時になくなってしまっていたので、帰る家がなく、知り合いの家を転々と居候する生活を送ることに。

これから出費も増えていくだろうし先々のためにも貯金をしたい。お金を増やしていかねば!と考え、インターネットで見つけたいくつかの投資系の案件などに200万円以上を使ってしまい、見事詐欺られました。w

貯金が底をつき、100万円ほどの借入が残りました。

お金だけに執着すると逆に失うことを学びました。

 

27歳~28

キャリア、スキルもなく、気づいたらアラサーに

真剣に生きてきたつもりでしたが、この歳になっても飽きっぽく物事が長続きしない私には何も誇れることがありませんでした。

物販ビジネスを頑張ってみたものの中途半端に終わりやめてしまうし、

何か仕事を積み上げてやってきたわけでもない。

バイトやちょっとした派遣しかしていないし、それも長く続けられず、会社員になる勇気もない。

新しく始めたことでも、ちょっと躓くとすぐに挫折。

楽してお金を得たいと思ってしまうダメダメな人間です。

キャリアもスキルも何一つありません。

周りの同級生は、結婚して子供がいたり、海外留学していたり、仕事で活躍していたり。

何かやらなきゃ!と頭の中ではずっと焦りがあるのに、現実はしょうもない毎日。

同級生の誰よりもたくさん稼がないといけないと必死だったのに、気づけば誰よりも落ちこぼれ。

母を助けたい、支えたいと思っているのに何もできていない。

悔しくて恥ずかしくて、もういい加減こんな自分は嫌だと心底思いました。

 

新しい出会い、新しい仕事

そんな時、人との出会いでFXのアフィリエイトビジネスを知り、サポートスタッフとして仕事をもらえることになりました。

業界の知識や現状を知る中で、詐欺まがいのものがたくさんあり騙されている人も多いと感じ、世間に知られていない正しい情報をたくさんの人に届けられたら、という思いが増していきました。

ネットワークビジネスの時と同じように、私自身には発信力や影響力がないため、良いものがあってもそれを人に伝えることができません。

そこでWebを使ってなら、たくさんの人に発信できるのでないかと思い、Webマーケティングを身につけようと決めました。

またWebマーケティングを使って仕事ができれば、時間や場所にとらわれず、世の中の流れを読みながら、収入を大きくしていけると思いました。

 

現在とこれから

身につけたいと思ったものの、世の中に情報が溢れすぎてしまっていて、何から手をつけたら良いのかわかりませんでした。

マーケティングといっても多岐に渡り、Webサイト運用、広告、SEO、SNSマーケティング、コンテンツマーケティグなど、正直何から手をつけたらいいか全く見当もつきません。

Webマーケティングの知識はもちろんゼロで、何もかも1から取り組んでいく段階です。

こういったスクールをやっている人はたくさんいるし、一体誰から学ぶべきか模索していた時に出会ったのが、青木創士さんというWebマーケのプロフェッショナルの方でした。

青木さんは、YouTubeのビジネス系発信者のなかでも有名な、勝友美さんという女性経営者のSNSを0から立ち上げ、コンサルされています。

それだけでなく、数万以上の登録者のアカウントをいくつも誕生させ、Webマーケッターの中でもダントツで結果を出されています。

私は、勝友美さんのYouTubeからオンラインサロンの存在を知り、入会。

そのサロンのWEBマーケを担当しているのが青木さんで、最初は正直苦手な印象がありました。

ストレートな物言いに、豆腐メンタルな私はなんて厳しい人だ、、なんて思っていました。w

でも言っている事は確かで、間違いがなく、この方は本物だ!そう感じたところに、青木さんからスクールの募集をすると発表が。

それも1年でWebマーケのイロハを全て詰め込み学べるカリキュラムだったので、右も左も分からないけど挑戦してみようと参加を決めました。

このスクールを通して、多くの人に情報を届けられる自分になるべく、1年間の活動をこのブログに記していきたいと思います。

そして、Webマーケティングを通して1年後に月30万円、2年後に月100万円の収入を得られるように、このブログにアウトプットをしていきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^